クリスチャン生活にポイントを置いた説教を目指して

 

すばらしい望み

IIテサロニケ2:1617

初代教会の聖徒たちは自分たちの時代にキリストがお迎えに来て下さると信じていたが、テサロニケの教会にはそのことに関する理解が不足していた。それでパウロは、第一の手紙と第二の手紙でキリストの再臨に関して彼らに正しい理解を与えた。本日の箇所はパウロの祈りである。パウロは「永遠の慰めとすばらしい望み」を与えた主イエス・キリストと父なる神がが最後まで聖徒の心を慰め強めて下さるように祈っている。本日はその内容を確かめてみる。

 

永遠の慰めとすばらしい望みを与えてくださった主(16節)

「永遠の慰め(励まし)」に関して:「慰め」は「励まし」とも訳され、ご聖霊(慰め主、励まし主)を表す言葉でもある。主は聖徒をご聖霊の働きにより一生涯慰め続けて(励まし続けて)くださる。しかし、死んで後も慰めて(励まして)くださるお方である。なぜなら、「キリストの御国」(今は「教会」)は永遠に続くからである。

 

「すばらしい望み」に関して:やがて「キリストの御国」が完成する時(主の再臨)が来る。そして「キリストの御国」は永遠に続く。聖徒はその永遠に続く「キリストの御国」で主キリストと私たちの愛する人たちと再会し(再会は携挙の時)、復活の栄光のからだを頂いて共に永遠に生きることになっている(ピリピ3:2021)。聖徒は又「キリストの御国」で栄光のからだと永遠のいのちを頂くだけでなく、地上での行いに応じて主から、善悪の行為に対する差し引きはあるとしても、有り余る大きな報いを頂くことになっている(マタイ25:1430)。更に、聖徒は「キリストの御国」で主からの任務を頂いて永遠に主に仕えることになっている(黙示録20:46)。創造の御力と愛と恵みに満ち完全な正義をもって「経営する上司」に仕えるのである。これらが聖書が教える聖徒に与えられた「すばらしい望み」である。

 

聖徒を慰め強められる主(17)

聖徒を慰め強められる目的は、聖徒があらゆる良いわざ(行い)に進むためである。世にあるあらゆる良いわざは厳密には聖徒の為に用意されたと言えるだろう (エペソ2:10)。聖徒の行いが世の人より堕ちるとすると、それは神にとっては考えられないことである。聖徒の行いが主を知らない人々より良いものであるべきことは当然であるが、聖徒の良いわざは特に「互いに愛し赦し合う」ところに最も現れると言えるだろう。

 

聖徒を慰め強められる主が聖徒と共にいて下さるから、私たち主の聖徒は「堅く立って(15)、動かされることなく(Iコリント15:58)」信仰生活(主のわざ)を歩むことができるのである。

 

テサロニケの聖徒に与えられた「すばらしい望み」は私たちにも同じように与えられている。「キリストの御国」の約束を信じ、堅く立って動かされることなく良いわざ(主のわざ)に励む聖徒であり続けたい。